(何度か似たような話しを書いたけど)
僕がセイウィズを始める際にメンバーに言った言葉は
「願わくば老若男女に伝わって欲しい」
という事だけだった。
ある種、前のバンドは完成、というか熟成してしまったのである。
(事実、わかるやつだけわかればいい、という姿勢の時もあった)
だから僕は考えた。いや、感じたんだろうな。
「常に新鮮である音楽は常に素直である事だ」と。
セイウィズを観て、聴いて、どんなジャンル名で呼ばれても構わない。
スカコアでもデスメタルでも、そう本心から感じてくれたなら全然それでいい。
いや、むしろ、それがいい。
ジャンルが細分化された、だの、CD屋の棚分けの便宜上、だの、もうゴタクは聞き飽きたさ。
君が初めて、本当に初めて胸を打たれた音楽ってそんな名札を気にした事あるかい?
感動って、そんなにセコくない。
だから素直って、1番難しいんだな。
自分を探すと自分はいなくなってしまうように。
ちなみに僕が「難しい」というのは「難解である」という意味では決してない。
「感動に敏感な自分を育て、常にそこに素直でいる為には少々、窮屈な世の中かもしれないよね」という意味でだ。
はっきり言って、すんごいタフじゃない限り、辛いよね。
空気読め、とか、好き嫌いの意思表示のタイミングとか、イチイチ煩わしい、、
じゃあ誰がそれを守る?守ってくれる?
それは簡単。
結局、自分自身なんだな。
それを戦いと呼ぶ人もいるくらいだ。
見えない首輪の内側には主人の名前と連絡先が書いてある。
もし君が、君自身の主人であるのならば、何故その首輪をつける意味があるというのだろうか。
僕が歌うのは、僕の名前だ。