2013年12月31日火曜日

心の大掃除

2013年を振り返る余裕なんてないかな

と思っていたけど

深夜のファミレスでボーッと考えごとをしてたら

あっという間に2時間くらい経ってしまった。

1月から週1ペースで行ってきたジョギング納めもした。

ザッと計算しても、ここ一年でトータル200km以上は走った訳だ。

静岡くらいならいけそうな距離だね。

走ってる間は(とは言え本当にチンタラやってます)何も考え事をしなくてすむ。

しかも体調や身体のバランスもとれるというビッグなオマケ付きだ。

ここ一年、まるで取り憑かれたように走った。

友人を誘ってランニングした事もあったけど、どうやら一人が向いてるみたい。

学生時代のマラソン大会を思い出す。

"一緒にゴールしようね"と言ったクラスメイトは

スタートから僅か10分ほどで、その後ろ姿は見えなくなっていった。(あるある)

ついでに白状すると僕は"置いていかれる"という状態に極度に弱い。

マイペースな癖に寂しがりやな自分を作ったのは、僕自身が望んだ人格ではないのだが。

だから一人で走ってる方が性に合ってる。

一人でスタートを決めて

一人でゴールを目指す

これは仕事でもバンドでも、気付いてみればそういう流れの中にいたのかもしれない。

僕の口癖で"結果が出るまで待ってくれ(そっとしといてくれ)"と、親しい人にはよく言うようにしてるんだけど(じゃないと皆が心配してくれたり、振り回されるからね)

本当のゴール(結果)なんて誰にもわからないし、今も現在進行形で走り続けてる僕がいる。

好き勝手やってる訳だから、本来ならドヤされたりあれこれカットインが入るところなんだろうけど

僕の周りの人たちは、とても大らかに笑って(僕がつまずいた時は手を差し伸べてくれたり、見過ごして)くれてる。

そう、ゴールなんてわからない(約束されてない)のに、だ。

僕はそこまで誰かを信じれただろうか?

僕はそこまで寛容な心の持ち主であるか?

いつも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

(別に年末だからってセンチメンタルな事を書き記したい訳じゃない)

最近、"ありがとう"の行く末を考えてる。

人が人に対する"ありがとう"

一個人が今日を無事生きれた"ありがとう"

"ありがとう"が地球を回してたら、どんなに素晴らしいだろうか。

それとは反比例して僕の描く詩の暗いこと暗いこと(笑)

人生のデトックスとして、売れる売れないじゃなく、僕の表現方法の一部として

どんどん純度が高くなっている(気がしているだけかもしれないけど)のは

そういった"ありがとう"に包まれているから、安心して暴力的な表現やナンセンスな描写が思い浮かぶのかもしれない。

僕は生かされている。

2013年はハッキリとそう思えた。

正体不明の預言者が僕の中にはいて、次々と僕自身に命令を出す。

瞬間的にその声に背く事は出来ても、必ず本流に戻される自分がいて、もがき苦しみながらも何とか365日を泳ぎ切った。

誰かに誇れなくてもいいんだ。

自分に誇れる自分になろう。

僕はそれでいい。

ずっとそういう気持ちでいよう。

答え合わせは来世で。







写真はもう説明要らずの憧れの漫画家との対談。

アンチノックフリーペーパー1月号に掲載されてます。

何度も言いますが夢は叶う。

夢自身は僕自身だったという事を思い知らされた"人間学校35年生"でした。

ありがとうございます。