覚えているのは何のデザイン性も感じない公衆トイレからフラフラと歩き出たとこだ。
自分が持っているライターやタバコを投げ捨てながら真っ暗な公園の出口までわずか15Mを決死の思いで歩く。
門の左端にあったお椀状の大きな植木鉢に持たれかかるとあまりに重力が私に厳しくて
「ああ、これは生きてきた縮図だ。しがみついたまま登らなければ辿りつけないものを目指してしまったのだから」
とショート寸前の頭で思う。
しかしもういささか疲れた。
このまま手を離して私は自由になりたいのだと願った瞬間、身体ごと後頭部から倒れる。
私は気を失い、いや正しくは意識と自我だけの部屋にいてそこからは出れない。
この世のありとあらゆる憎悪と後悔と自責の念が何十匹の黒い蛇のように絡み合いながら私を苦しめ続ける。
1秒が何時間にも感じるような苦痛と絶望の中でそれでも私は生きたいのか自問自答をする。
死にたいとは思わない。
ただこんな思いをするなら死んだほうがマシだ!と叫びたい、このままでは胸が壊れてしまう衝動だけが永遠に繰り返される恐怖。
「大丈夫ですか?」
女性の声がした。
私はゆっくり目を開けると赤茶色のタイルが顔にへばりついていた。
正確には公園の歩道に横たわってる自分に気づいたのがこの時だ。
私は無神論者だがこの時はじめて私の一挙手一投足が誰かに見られているんだと感じた。
頼むから、謙虚に生きますから、どうかもうあんな思いは私にさせないで下さい!と懇願しながら這いずるようにして公園を出た。
それは右足から家を出るか左足から靴を履くかの些細な事で人身事故に巻き込まれる可能性やダンプカーが突っ込んでくるような危険性、運命ってやつに支配されながらも私自身がそれを選ぶ事は一生できないんだと悟った。
バスロータリーをお年寄りを引きつる笑顔で避けながら歩いた。
すれ違う人が全て私の罪に何かを抱いているような気もしたし、それを悟った上で知らん顔をしているようにも見えた。
飲屋街に入ると呼び込みの男たちが私の凄惨な姿を笑った。
嘔吐を繰り返しながら肉体の悲鳴を聞いたような気がした。
コカコーラの自動販売機に寄りかかり、放置された自転車にリアリティを感じ始めた頃、私は生かされてる事を知った。
そして自分の手や腕に固まりかけた血がついてる事も。
片方のサンダルもなかった。どうでも良かった。口笛を吹きながらすれ違う人々をかわしてなんとか家の近くまでたどり着いた。
電柱に貼ってある緑色の通学路を示す看板を触った。あの確かな感触は私が今この地球、日本、練馬、豊玉というコンクリートの上に存在している事に生まれて初めて安堵を覚えた。
家の鍵を開けた。財布や携帯も無事だった。仕事仲間から着信が二回来てた。
とてもじゃないが掛け直す勇気はなかった。