軋轢の目的は何だろう。
犠牲者を出す事とは到底思えない。
軋轢は意思の疎通の不全か
それともただの諦めか。
世界はゴシップ記事を見てるみたいだ。
被害者や加害者という呼び名も第三者の思惑にしか過ぎない。
当人らにしかわからない私怨や情念は
しっかりと相互リンクされている。
抱きしめ合うか
殴り合うか
実はそんな難しい事じゃないのかもしれない。
共存する為の共闘なんてまやかしだ。
お互いが
お互いのままで
いる事が不可欠で
それを平穏と呼ぶに相応しいと私は思う。
あとは時間が教えてくれる。
印藤