2013年1月29日火曜日

今日はイマイチ思いやりに欠ける日だったとかー

弱音も愚痴は不平不満=他力本願だと思っていたけど

誰もがそんな事はわかってるのかもしれないね。

時には甘える事が必要だって台詞も

俺にはまだわからないな。

甘えるのが下手だからか
それとも
甘えてばかりだからか。

うまくいかない事ばかり
でも
それは現段階、あくまで現状のハナシ。

一ヶ月後の不正解は
一年後の正解かもしれない。

そう思わないと
どうやら有限らしい人生というやつに殺されてしまう。

鳥かごの中から抜け出せ。

排気口のファンを外して匍匐前進で進むのさ。

まるで測ったかのように私のサイズとピッタリのトンネルはずっと暗い。

ジタバタする暇もスペースもないんだよ。

今は振り返れないが
皆はきっと着いて来てくれてると祈ってる。

祈ってる。

2013年1月22日火曜日

祈りながら走る。

写真は光が丘公園。
ジョギング中にパシャり。
まるでゲレンデ
スキーなんて15年以上やってない。

1月の2公演が無事終了致しました。
ご来場の皆さん、どうもありがとう。

やっとアルバムの事、お知らせ出来そうです。

最近、老いについて考えます。
僕はきっと同い年のあの電車で見かけるようなうなだれたスーツ姿の人たちに比べると見た目はだいぶ若いと思う。

付き合ってる人間や環境がきっとそうだから、なんて話しは本当かもしれない。

老い、という概念も時間という概念もそれは誰かが決めた事だからあまり僕には関係のない話しだ。

だけど確実に衰えてゆく。それは肉体的な事だけじゃなく考え方や日々の過ごし方、ルーティンワークに少しづつ削られてゆく。

粉状の僕が雪のように積み重なってゆく。その一粒は触ればすぐに体温で溶けてしまうような儚さだが、塵も積もれば山となる、だ。
まるで砂時計みたいに僕の生きた時間を知らせてくれる。

その残骸を見ると何だか今まで過ごした日々は全て罪のような気がする。美味しかったアイスクリーム屋さんの事も、その時愛していたはずの女の顔も滲んで溶けてゆく。硝子越しに触れない時間。

いつかは僕自身が溶けてなくなってしまう。それは物質的にも、あるいは誰かの記憶の一粒として。

この世を構成するものは全て浄化を待っている。ならば私たちは何故、この姿に生まれ、今日を生きているのだろうか。
あるいは見知らぬ人がすれ違い様にその答えをふと教えてくれたとて、相変わらず釈然としないままカーテンを閉め布団をかぶるのだろう。

僕は時間から逃げようとしている。
だから走る。
願い、ではなく祈るように。

それが今日を支えている。やっと立っていられるのさ。矛盾だってわかってる。

遠くに点滅式の信号が並んでいる。
彼らはじっとと待っている。
何も言わず、何も語らず
僕らが通り過ぎてもいつも知らんぷり。

そこで何を待っている?
何を、期待している?

2013年1月11日金曜日

ピュ〜と走るジョガー

最近、深夜にジョギングしてます。

なんかね、年末に自転車で無理をしてから、やたら運動が楽しい。

もともと剣道やってたから、身体が作られてく感覚は早いし、好きなんだけど

やっぱりね、人間の老いには抗わないとね。歌にも活きてくるでしょう。

特に行く先は決めず、ダラダラと走ってるんだけど、不思議と思い出の地ばかりを巡ってしまってね。

呼ばれてるのかな?なんだかそんな気がするよ。膝や腰を壊さないように、趣味の範囲で頑張ります。

自分がこの街に生まれ、もう34年も経ったなんてまるで嘘みたいだ。

34年だぜ?このアッと言う間感が、光陰矢の如し、ってやつなのかな。

走っていて、思ったこと。多分、だけど、目標を見つめる事よりも、目標に向かって1日1センチで良いから、積み重ねる自分を見つめる、とでも言うのかな、足元を見ていれば、きっと夢は叶う、と思った。

稚拙な、おざなりの言葉ですが、本当にそう思った。確信、ていうのかな、すごくシンプルな事なんだね、本当は。

夢、って概念を口や文章にするのは何だか気がひけるけれども、もしあなたが毎日、そう、毎日、たった薄皮1センチでも1ミリでも積み上げる事ができるなら、月にだって届くでしょう。

人間って不完全だからこそ、よく出来てるんだなあ。

追伸
前回書いた、俺が唯一、ピン!とくるカメラマンと久しぶりに連絡が取れた。

最近の自信作を何枚か送って貰う事にしたよ。楽しみだ。

2013年1月10日木曜日

ピン!

私、カメラが嫌いなんです。

正確に言うと撮られるのが苦手。

もっと言うとライブ中の写真とか

滅多に納得いくモノはない。

そのカメラマンがどんなに有名で

どんなアーティスティックな説明をされても

ピン!

と来なければ、伝わらないんです。

バンドを続けてると

ありがたいことに

ライブ中の写真撮らせて下さい、とかたまに言われますが

大体、断るか、ネットにはあげないで下さい、と約束をします。

なんででしょう?

いや、ピン!と来ないんです。

もしお互いがカメラや楽器に情熱を注いでるなら

わかるはず。

その、ピン!がどれだけ重要でどれだけ人生の選択肢に訪れたか、を。

でも1人だけいました。過去に。

この人の写真は好きだ

そう心から思えた人がいました。

また一緒にやれたらいいな

真剣勝負。

俺はカメラの事はズブの素人だけど

音楽も料理も絵も映像も、、なんでも同じ

ピン!が全てなんです。

理屈で感動を奪わないで下さい。

2013年1月4日金曜日

見えない首輪

(何度か似たような話しを書いたけど)

僕がセイウィズを始める際にメンバーに言った言葉は
「願わくば老若男女に伝わって欲しい」
という事だけだった。

ある種、前のバンドは完成、というか熟成してしまったのである。
(事実、わかるやつだけわかればいい、という姿勢の時もあった)

だから僕は考えた。いや、感じたんだろうな。
「常に新鮮である音楽は常に素直である事だ」と。

セイウィズを観て、聴いて、どんなジャンル名で呼ばれても構わない。
スカコアでもデスメタルでも、そう本心から感じてくれたなら全然それでいい。
いや、むしろ、それがいい。

ジャンルが細分化された、だの、CD屋の棚分けの便宜上、だの、もうゴタクは聞き飽きたさ。

君が初めて、本当に初めて胸を打たれた音楽ってそんな名札を気にした事あるかい?

感動って、そんなにセコくない。

だから素直って、1番難しいんだな。

自分を探すと自分はいなくなってしまうように。

ちなみに僕が「難しい」というのは「難解である」という意味では決してない。

「感動に敏感な自分を育て、常にそこに素直でいる為には少々、窮屈な世の中かもしれないよね」という意味でだ。
はっきり言って、すんごいタフじゃない限り、辛いよね。
空気読め、とか、好き嫌いの意思表示のタイミングとか、イチイチ煩わしい、、

じゃあ誰がそれを守る?守ってくれる?

それは簡単。

結局、自分自身なんだな。
それを戦いと呼ぶ人もいるくらいだ。

見えない首輪の内側には主人の名前と連絡先が書いてある。

もし君が、君自身の主人であるのならば、何故その首輪をつける意味があるというのだろうか。

僕が歌うのは、僕の名前だ。

2013年1月3日木曜日

謹賀新年

おめでとうございます。
って一体何がめでたいんだか。
押しつぶされそうな不安に追い回されないように
2013年も爆進したいと思います。

早速、ぐーたらしててもアレなので
大晦日は練馬→下北沢→四谷→両国→練馬と自転車で無理をしました。
元旦は同居人たちと、しゃぶしゃぶ、天ぷら、寿司の食い放題(個室)に行きました。
今日はジョギングしました。
年齢に逆らう為の準備を着々と始めますよ。

今年はアルバムが出ます。
自分の人生で全国に展開されるアルバムを出すのは実に4年ぶりかな。
セイウィズになってからはデモと海外盤シングルだけだからね。
本当、コレの為に生きてきたと言っても過言じゃないよ。
ま、あまり煽るのも野暮になるのですが。

日進月歩。何故か今、このblogを書いてて閃きました。
俺は俺のスピードでたとえ孤立を選んでも俺の満足を手に入れる為に進む。
まだまだわからん。俺の満足ってなんだ?
そんな事にもワクワクしながら歩く、歩く、和らぐ方へ。

モラトリアムは終わりだ。
正体不明の使命感の行き着く先をずっと信じて漕ぎ続けるしかない。この3人乗りのボート。
振り返ればドス黒い深い海しか見えない。港の灯りも随分小さくなった。
波はやけに静かで風だけが冷たい「今なら引き返してもいいんだぜ」と私の臆病な内側をくすぐり、からかう。

再び正面を向き直しても真っ暗な時間に飲み込まれてゆく感覚しか肌には刺さってこない。
鳥肌すらも立つ事を許されず、空と海の境界線に私だけが一心不乱にオールを回している。
前人未到がいい。どうせ辿り着くなら未開拓の地に骨をうずめたい。

ああ、そうだ、そもそも帰る準備なんかしてきてなかったさ。一方通行、どこまでゆけるか、明日はあるのか。

跳ね返る水しぶきが視界を滲ませる。
俺の体温は温かい。早く誰かに伝えなきゃいけない気がした。