2013年6月5日水曜日

中立という美学

情状酌量

罪を憎んで人を憎まず

素晴らしい言葉だと思うけど

自分にはまだ本質は掴めない。

その言葉の響きが持つ

何だか悟った感じや

あるいは立場的な便利さが好きで

よく使う事があるんだけど

別に俺が言うまでもない

というかおこがましいな

と思う。

言葉が生まれた時代背景

シチュエーションに感銘を受ける。

どんな時代にも災いや

やっかみ、嫉妬、トラブルは付き物で

きっと偉いお坊さんやお殿様が

それらを鎮める為に考え出した言葉なんだろうか。

中立である事は時に

善よりも悪よりも咎められる。

腰抜けだ、平和ボケだ、非国民だ、綺麗事を言うな、と責められる。

中立である事自体が常に美しく正しいとは思わないが

中立が1番骨が折れる。

中立とは善悪だけの概念からすれば
そのどちら側でもなく
答えが無い状態と同じなので

中立という存在自体を他に説明する事が困難だからだ。

俺は、

誰かを否定しなければ証明されない正義なんてクソ食らえだと思ってる。

中立とは行為そのものだ。

yesかnoでしか語れない大人になんかなるな。